5/8(木)放送「TOKYO SPEAKEASY」
「TOKYO SPEAKEASY」を聞きました。
要約
今回の放送のゲストは、東国原英夫さんとガダルカナル・タカさんです。番組では、お二人がこれまでの芸能活動や人生について様々なエピソードを披露し、互いの記憶違いを指摘し合いながらトークが進みました。
主な話題は以下の通りです。
- 過去の奇行エピソード: 東国原さんが若い頃、おしゃれなバーで隣に座っていた俳優さんの連れのお嬢さんに話しかけたエピソードや、喫茶店で他のお客さんの頭に塩を振って舐め出したという常識にとらわれない言動が語られました。タカさんは、東国原さんの「美味しそうだった」という意味が理解できないと述べています。
- コンビ結成とたけし軍団加入: 最初にコンビを組んだ相手について、東国原さんは高本さんと自分だと記憶している一方、タカさんは静岡から一人で上京し、ライムライトという会社にタレントとして呼ばれ、後輩の枝豆さんを地元から呼んだと語っており、記憶に大きな食い違いが見られました。たけし軍団は、1983年4月にテレビ朝日のスーパージョッキーのコーナーとして始まったことがタカさんから語られました。当初は日本テレビが「たけし軍団」の名前を使わせなかったため、「ガンバルマン」という名称になった時期があったそうです。
- 草野球チームのエピソード: たけしさんが野球チームを作った際のメンバー集めや、草野球での出来事についても話されました。タカさんは中学までしか野球経験がなく、東国原さんは高校では帰宅部だったと述べています。野球経験がないのにできると言ってしまった枝豆さんが、右利き用のファーストミットを左手にはめて守っていた姿を見た、たけしさんが「あいつはしおまねきか」と言ったというエピソードが語られました。また、たけしさんの牽制球が顔面に当たった話や、大リーグに行った松井秀喜さんが草野球の試合に来ていたかどうかの記憶でも意見が分かれました。
- 歌手デビューとパフォーマンス: 太田プロの副社長の企画で「たけし軍団カウントダウン」という4人組(タカさん、枝豆さん、東国原さん、くんちゃん)で歌手デビューした話が語られました。楽曲「ボンボンボン」がオリコンで初登場13位になったことや、TBSの生放送番組に出演した際にプールサイドでバック転を試みて歯を折った失敗談が語られました。
- コントとキャラクター: 野球コントや大統領コントの話のほか、「SSハニー」というSMのような格好をしたキャラクターで活動していた時期に触れました。SSハニー姿でマラソン中に警察に止められたエピソードや、東国原さんが選挙に出た際に、過去のSSハニー姿の写真が対立候補陣営によって選挙カーに使用されたという驚きのエピソードも明かされました。
- タイでのドラマロケ事件: 小説「ビートたけし殺人事件」のドラマ化第2弾でタイにロケに行った際、記念撮影の際に東国原さんがタイの王室の方の頭に一物を乗せてしまい、翌日の新聞で報じられて大問題となり、急遽国外に脱出せざるを得なくなったという重大な事件が詳細に語られました。この事件により、ドラマの台本が大幅に書き換えられ、作品がスカスカになってしまったとのことです。東国原さんは後にテレビ番組「アナザースカイ」でタイを最も記憶に残る場所として挙げたそうですが、この事件についてはコンプライアンスの問題で話せなかったそうです。
- 政治家への転身: 東国原さんが政治家を目指すきっかけになったのは、1998年の風俗事件で謹慎したことだったと明かしました。謹慎を機にお笑いとしては難しいと考え、方向転換したとのことですが、タカさんからはその転換先が政治家というのは「異次元」だとツッコミが入りました。知事時代も細かいボケをしていたという東国原さんに対し、タカさんからは県民や職員はツッコんでいたのではないかという見解が示されました。現場に行く姿勢はフライデー事件での経験がヒントになっていると分析しています。
- その他のエピソード: 六本木のスナックでカマ子さんの頭にちょんまげ(割り箸)を乗せた伝説 や、集合写真で前に並ぶ人の頭に何かを乗せたくなる癖があることにも触れました。また、スポーツ大将の過酷なロケでのエピソード(3000m障害、池に飛び込む、逃げようとしたロケバス運転手)も語られました。
- 記憶の正確性と感慨: 会話全体を通して、お互いの記憶の食い違いが多く見られ、タカさんは東国原さんの記憶の正解率は3割か半分くらいだと述べています。最後に、これまでの波乱万丈な人生を振り返り、「よく生きてこれた」「長いこと喋ってきた」と、長年活動を続けてこられたことへの感慨を述べています。
音声まとめ
内容を短い音声でまとめました。ながら聞きに最適です。